「伸治のファンの方ですか?」
「はい、いつも大好きで聞いていました」
「わざわざ会いに来てくれてありがとう。わたくしは伸治の母です」と言って、その場から少し離れてくれた。
私に二人だけの時間をくれた。
私は、佐藤伸治くんと最初で最後の挨拶とお別れをした。
隣にはまだお墓がたてられていなかったが
親戚が入るという。
「一人で来たんですか?どこからですか?もう帰りの電車ありませんから、うちの近くの葛飾の駅まででいいなら、送って行きますよ」
とお母様は親切に声をかけてくれた。
横に立っているお父様は、伸治くんそっくりだった。
とても厳しそうな方だった。
私は葛飾まで車の中では相当緊張していた。
途中、お母様が、「伸治が好きだった公園に連れて行ってあげましょうか、アルバムのジャケットになったスポット。伸治はその大きな岩でよく作曲していたようです。」といって公園に車をお父さんは走らせた。
その大きな岩を見た瞬間、ここで次々と曲が生まれたんだな、
ここに、座ってたんだ
とジーンときた。
私も岩に上り、お母様が写真をとってくれた。
それから電車に乗って家に帰ったんだろうけど
記憶がない。
極度の緊張と悲しみと悔しさと
あなたに会えた嬉しさと
あなたのすばらしい音楽とで
よくわかんなくなってたんだと思う。
Fishmans ‘Night Cruising’